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「ラスト・サムライ」が、大好きだ。
作中の表層に現る諸々の欠点は、あえて記憶から削除しよう。それよりも内面がとても好きだ。
それでも視覚的なミスは明らかにミスだ、という意見があるとしたら、では、視覚的成功とそれを差し引いてなお、一つ二つの瑕が勝るのか、とも思う。
では、視覚的成功とはどこだろうか? 美しい日本風の風景? それもある。刺客の立ち姿、歩き方一つとっても完璧なところ? それもある。
だが、ここではまったく違う物を上げたい。
「村での生活」だ。
特に、「だらだらしているオッサンサムライたち」を。
あの映画に出てくる、山村で毎日木刀振り回して、仕合する連中を眺めては賭けをしてる侍たちって、ほんと、すげーいいと思う。
どういいかってーと、「ジブリ的」。
ラピュタの鉱山労働者や、紅の豚のごろつきたちに共通する感じがある。
例えば、現実にみたらちょっと退くようなレッドネックのみなさんを、肯定的、魅力的に描く力が、宮崎監督はすごいと思う。だって、おっそろしい性格の小娘たちを、あんなにきれいに見せられるんだぜ?
そういうのを指して視線の優しさみたいに言うのかもしれない。
で、今日、ジブリの実験作「オン・ユア・マーク」を見た。時間にして七分弱。チャゲ&飛鳥の同名曲に合わせて、カルトのアジトらしき場所に乗り込んだ武装警察が、徐々に濃度を増す残酷描写で強襲をかける様が描かれる。
ここまでで見るべきは、あのいつもの絵柄と、生々しい死体の描写。
実はここまで、意外なほどに死ぬシーンが出ない。無機物が壊れるシーンばかりが描かれる「あれ? 暴力描写規制?」って思ったところで、一人ぶっとぶ。
この溜め方の意図を気にしていると、次に死体がリアルに映る。それまで、登場人物はみなマスクで顔を隠しているのだが、死体の一つから、いかにも無垢な若者の顔が見える。
次は折り重なる死体が、さらに爆風で吹っ飛ぶ描写。それから、その果てにうつぶせに倒れている羽の生えた少女。
ここで、これまでのシーンがもう一度繰り返される。音楽のフレーズとか、リピートの都合かな? と思っていると、今度は翼の生えた少女が、二人の警官によって救出され、息を吹き返す様が語られる。
少女はそのまま保護される。
次にリピートされるのは居酒屋で、複雑な表情をして酒を飲む二人の警官。
今度は、その二人が、なにやら作業をしているさま。
二人は計画を練り、実験施設に侵入。少女を救い出す。
車を盗んで逃亡した二人を、軍用と思わしきヘリが追いかけ、ハイウェイが崩落、車と三人はそのまま落下する。
ここでまたリフレイン。車を盗み、ハイウェイを逃げる様が映る。
今度は逃亡成功。
そう、これは、あの「ラン・ローラ・ラン」と同じ。パラレルワールドのような、分岐した世界が描かれているのだ。
いくつもの違った世界。しかしそれを見て感じたのは、いくつもの同じ、二人の警官の心地よい姿だった。
いいんだ、この二人のあり方みたいのが。実に魅力的な面立ちをしている。
もし、世界がいくつも平行していて、どんな汚れ仕事をしている人間にも、宮崎ビジョンで描かれるチャンスがあるのだとしたら、きっと私は救われるだろう。
だとすれば、今の生を、「あり」として、歯を食いしばれる。
そんな物語の根本的な力を、思い出したのだよ。
ただ、なんでもかんでも安易に肯定しちゃうやり方は好きじゃないので、いくつものバッドエンドを重ねたこの作品は、それさえも内包したすばらしいものだと思う。
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